おっさんが振り返るWindows95とパソコン通信とインターネットの話 #インターネット老人会

2016年3月5日土曜日

パソコン 雑感

t f B! P L C

猫と一緒にガジェットライフ♪ムチャです。

プログラマであり、CodeIQにて「はしれ!コード学園」というプログラミング言語の擬人化マンガを連載している漫画家でもあるちょまど氏(@chomado)の呼びかけで始まった「#PC回顧録」というハッシュタグにて、おっさん達の思い出話が盛り上がっています。

自分もいずれ書こうと思っていた思い出話を、いい機会なので書いてみることにしました。よろしかったらおつきあいくださいませ。
写真のメディアは自前のものです。

はじめに

  • おっさんの記憶を元に、多少の調査を加えて書いています。ツッコミは歓迎ですが、「WindowswwwwDOSを知らないとかw」みたいな知識自慢はご遠慮くださいませ。ぜひご自分でその辺のことを書いてみてください。
  • Windows95発売以降のお話しです。3.1も触ったことはありますし、それ以前の話も多少は知っていますが、それほど突っ込んだお話しもできないので省略します。
  • Macは全然詳しくないので語っていません。
  • 知っている方は懐かしんで、知らない若い方はへぇ~と思ってもらえれば幸いです。


1.ハードウェアのお話し

1995年11月、Windows95が発売されました。
なぜだかは忘れたのですが当時やたら盛り上がり、秋葉原では深夜販売が行われたり、多数のPC雑誌が発売された気がします。

当時自分は大学3年生でした。コンピュータには興味があっていつかは手にしたいと思っていたのですが、1996年3月に遂に自分のパソコンを買ってもらいました。

1.1. 初めてのパソコン

買ったのはIBMの「Aptiva(アプティバ)」というシリーズです。スペックはざっと以下のような感じ。

Aptiva型番忘れ
CPUPentium 133Mhz
2次キャッシュ無し
メモリ8MB
HDD1.6GB
モニタ15インチ 800×600ドット 色数は65536色?
CD-ROM4倍速?
サウンド・モデムMwave 28.8kbps
USBまだ存在していません

今と比べると、CPU周波数もメモリ・HDD容量も単位が1つ違うのでざっと1000倍以上ということになります。

1.2. フロッピーディスク


「この保存のアイコン何なんですか?」と若い人に言われて唖然としたという話はよく聞きますね。
写真は今でも持っている3.5インチのフロッピーディスクです。

1枚で1.44MBの容量です。もっと大きな5インチや8インチの物もさらに昔にはありました(自分は使ったことがありません)。

Windows95はCD-ROM版とフロッピーディスク版があり、後者は40枚ちょいという枚数で、インストール中に何度もディスク入れ替えが発生して大変でした。
それでも当時は他に手軽な持ち運べる記憶媒体が無く、広く使われました。

1枚に収まらないデータは、圧縮した後フロッピー1枚に収まるサイズに分割するソフトを使って持ち運んでいました。

1.3. CD-ROMドライブ

CD-ROMドライブは音楽CDの速度(150KB/秒だったか)を1倍速とした~倍速で語られていました。速いほどソフトのインストールなどが速くなるというわけです。

速度は最大で52倍速とかまで到達した気がします。
今や光学ドライブ自体搭載していないPCも珍しくありませんね。

書き込みのできるCD-Rドライブが数万円で買えるようになるのはもう少し後です。
書き込み中にデータが途切れると失敗してメディアがダメになってしまうのですが、その頃のPCは非力で安定性も今ほど高くないため、書き込みの最中は一切PCに触らず待っていました。


1.4. 2次キャッシュ

2次キャッシュというのは、CPUとメモリアクセスの速度差(ものすごい差がある)を埋めるために用いる、高速だけど高価なメモリのことです。
Pentiumは1次キャッシュはCPUに内蔵していましたが、2次キャッシュはオプションでした。

まだPCスキルも全く無いのに、「なんか増設すると速くなるらしい!」というのだけ見聞きして、まだ少なかったパソコンショップで取り寄せました(256KBが2万くらいしたかな・・・?)

増設の効果は絶大で、特に驚いたのは長文のテキストファイルをメモ帳で開いたときにスクロール速度が爆速になったことです。
ちなみに今のCore-iシリーズなどは3次キャッシュまでCPUに内蔵しています。


1.5. モデム

モデムとは、広義に言えばデジタルデータをアナログデータに変換もしくはその逆を行う装置です。

当時携帯電話などもちろん無く、回線といえば固定の電話回線しかありません。モデムは電話回線を通じて別のコンピュータと通信を行うために、Windows95時代のPCにはほぼ標準装備していました。
(外付けのモデムもありました。通信環境の話は後述。)

Aptivaに内蔵されていたモデムは専用のハードウェアではなく、DSPと制御ソフトを使った「Mwave」という物でした。
スペックとしては当時最速の28.8kbpsで、サウンド機能も1つでこなす万能選手だったのですが、トラブルが多い上に確か通信しながら音を鳴らすと重くなったりして大変でした。
Thinkpadシリーズにも搭載されていましたが、しばらくして使われなくなりました。


1.6.PC-98シリーズとDOS/V

当時国内のPCはNECのPC-9800シリーズとそれ以外という風に分かれていました。
この辺は詳しい方に譲りますが、PCが非力だった頃に日本語を表示するため専用のハードウェアを装備したNECのPC-98シリーズが国内では広く使われ、その後IBMが仕様を公開したことで海外で広く使われるようになったPC/AT互換機が入ってきました。

技術の進歩によってソフトウェアだけで日本語表示ができるようになり、VGA(640×480ピクセル)で日本語を扱えるOSとして「IBM DOS J4.0/V」(マイクロソフトがOEM供給していた)が出てからは俗にPC/AT互換機を「DOS/V」マシンと呼ばれるようになりました。
「ドスパラのドスって何ですか?」という話がありますが、元はDOS/Vパラダイスという店名だったとこからきています。

ということでハードウェアが異なるため、Windows95はPC-98用とPC/AT互換機用で分かれていました。

Windowsのドライブレターは「Cドライブ」から始まりますが、これはPC/AT互換機においてA、Bドライブはフロッピードライブとして予約されていたことから来ています。

PC-98シリーズではその辺の事情がちょっと違っていたため、普通にAドライブをハードディスクとしてWindowsがインストールされているという状態になりました。
システムフォルダが「A:\Windows」なのはちょっと違和感がありました。


1.7.メモリ

Windows95はハードウェア要件として8MB以上を要求していたので、当時のパソコンはほとんどがメモリ8MBでした。

自分のAptivaも8MBでしたがスロットが1つ空いていたので、8MB増設しようと思ってパソコンショップへ行くと、確か8MBのメモリが4万円だった気がします。

増設した結果は、2次キャッシュほど劇的な変化は無く、あまり快適度は変わらなかった気がします(;´∀`)



2.通信環境のお話し

2.1.電話回線と通話料

モデムの項で書いたように、通信と言えばサービス業者が提供しているアクセスポイントに対してモデムを使って電話をかけて接続することでした(ダイヤルアップ接続)。
当然ながら、繋いでいる間は通話料がかかります。そのため、通信は「必要な情報をさっと落としてすぐ切断する」が基本でした。

しかし、NTTがちょうど1995年に「テレホーダイ」というサービスを始めていました。これは23時~8時の時間帯に限り、予め指定した2つの番号に対して通話時間にかかわらず月額の一定料金になるというサービスです。

料金は同一市内だと月1800円、隣接区域だと月3600円でした。

非常によいサービスだったのですが、23時になるとみんな一斉にアクセスポイントへ接続しようとするため、用意された回線数を超えてしまってなかなか繋がらないということもしばしばでした。俗に「テレホタイム」と言われ、この時間帯を狙って当時のネット活動は深夜に及びました。

テレホマンというAAもありました。由来はよくわかりません(;´∀`)
           _____________
   ___   /
 /´`;:::\< 呼んだ?
/    /::::::::::| |
| ./|  /:::::|::::::| \_____________
| ||/::::::::|::::::|



2.2.キャッチホンの害

キャッチホンはNTTが提供していた、通話中の相手を待たせて別の着信を受けることができるサービスです。
通話中に着信があると音で知らせてくれて、一瞬受話器を置くところのボタン(何て言うの?)を押して回線を切ることで、着信した方に切り替えることができました。

モデムでの通信はデジタル信号を音声信号に置き換えて行っているため、余計な音が入ってくると通信が維持できなくなって切れてしまいます。
そのためキャッチホンを利用している回線で通信をしている時に着信があると接続が切れてしまって非常にストレスがたまりました。


2.3.パソコン通信

インターネットの話をする前にパソコン通信の話をしないといけませんね。

パソコン通信はモデムでサービス提供会社のサーバーと接続して、電子メールや掲示板、チャットといったサービスを利用することを指します。

1996年ではニフティーサーブPC-VAN(現BIGLOBE)アスキーネット(現アスキー)が代表的なパソコン通信の提供会社でした。
また、自分は利用したことはありませんが、個人やグループでサーバーと回線を用意して同様のサービスを提供する「草の根BBS」というのもありました。

自分はニフティーサーブを利用していました。
会員だけのクローズドなサービスで、電子メール、フォーラム(掲示板)、CBシミュレータ(チャット)がありました。フォーラムにはライブラリもあって、様々なオンラインソフトが提供されていました。ニフティ自体に送金する仕組みが用意されており、シェアウェアもありました。今でも秀丸エディタのライセンス登録の画面では「送金代行番号」を入れる欄がありますが、これはニフティで送金したときに発行される番号です。

フォーラムは様々なテーマのものが用意されており、同じ趣味を持つもの同士で書き込みを楽しんでいました。
フォーラムには必ずシスオペという管理者がいて、ある程度統率が取れていました。
この辺は2chとかとは違うところです。

ニフティの場合システム利用料は従量課金制だったので、通話料に加えて1分いくらという利用料金がかかりました。そのため、自動巡回ソフトというのを使って電子メールの送受信や読みたいフォーラムの会議室を予め指定しておき、接続した後一気に通信して切断してオフラインで読むというのが普通でした。
自分はNifTermを使っていました。秀TermやEmterm、AirCraftといった名前は懐かしい方も多いのではないでしょうか。

チャットは自動巡回するわけにはいかないので、仕方なく普通に繋ぎます。
ニフティの場合、速度によって通信料金が違っていて、チャットでは速度が必要ないので2400bpsで繋いで行うのが一般的でした。
自分はこのチャットのおかげでタッチタイピング(ブラインドタッチ)ができるようになりました。


2.4.インターネット

やっとインターネットです。

今でもそうですが、インターネットに接続するにはプロバイダと契約する必要があります。加えて、プロバイダが用意するアクセスポイントに対してダイヤルアップ接続する必要があります。

プロバイダ料金はほとんどが月額固定でしたが、通話料はそうもいきません。
当然テレホーダイを使うわけですが、当時市内通話の区域内にアクセスポイントを持つプロバイダが存在しませんでした(´Д⊂ヽ
仕方なく隣接市外のプロバイダと契約して利用していました。

その後ドルフィンインターネットというところがアクセスポイントを市内で開設したのでそちらと契約しました。今でも存在します。
ちなみに元はバイク屋さんで、当時住所の場所に行ったら普通にバイク屋でしたw

当時Googleはまだ無くて、まず最初に行くのはYahooでした。
Yahooは検索以外にもウェブサイトをカテゴリ毎に分類して載せており、これはディレクトリと呼ばれて、確か申請によって人が手動で登録していました。
新着のページがあって、その日登録されたページを毎日見に行っていた記憶があります(普通に数えられる数でした)。


2.5.ISDNとダイヤルアップルータ


ISDN(Integrated Services Digital Network:サービス総合ディジタル網)は、通信回線を全てデジタル化することで、通信と音声を統合して利用できるサービスです。

物理的に線を増やすこと無く、1回線で2チャンネル分の回線を利用することができました。これによりデータ通信と同時に音声通話も可能でした。このおかげでキャッチホンの悪夢から解放されました。

また速度も1チャネル辺り64kbpsまで出ました。当時のモデムの速度は33.6kbpsだった上に、アナログ回線における通信は速度が安定しないのが一般的で上限まで出ることはあまりなかったのですが、ISDNのデジタル通信は品質がよくてほぼ上限近くまで出た気がします。
接続が速いのも特徴で、アナログ回線+モデムだと「ピーガー~ぐぉ~がーぎーごー・・・」という感じで接続まで10秒くらいかかるのが、ISDNだと一瞬で終わります。

その代わりテレホーダイはちょっと高くなり、INSテレホーダイは2400円/4800円でした。

またプロバイダによっては2チャネル束ねた128kbpsでの接続をサポートしているところもありました。でも料金も高くて自分は利用したことがありません。

同じ頃、ダイヤルアップルータという製品が出てきました。
それまでパソコンに直接モデム(ISDNではターミナルアダプタ:TA)をシリアルケーブル(RS-232C)で繋ぎ、モデムから電話回線を繋いで、パソコン上でダイヤルアップを起動することで通信を開始していたのを、LANケーブルでパソコンと繋いで外部との通信が発生すると自動的にダイヤルアップしてネットに繋いでくれる装置です。

特に写真の「MN-128 SOHO」は初期の製品ながらとてもよくできていて、かなりのヒット商品になったと記憶しています。もちろん自分も使っていました。

しかし、「使う時だけ接続する」のが基本で、ダイヤルアップルータも外部通信が無くなると一定時間で回線を切断するようになっていました。


2.6.常時接続時代の到来

若い方には「常時接続」という感覚が理解できないかもしれません。

これまで書いたように、インターネットは従量制の電話回線を使うため、「サッと繋いで落としたらすぐ切断」が基本でした。
テレホーダイで深夜はそれが可能だったものの、毎晩夜更かしするわけにもいきません。
常時接続サービスは存在しましたが、基本的に企業向けで一般市民には手の出せる価格ではありませんでした。

1997年に「OCNエコノミー」という、一般向けの常時接続サービスが始まりました。
ISDN回線を用いた128kbpsのサービスですが、月額料金はなんと38,000円
それでも常時接続サービスとしては破格でした。

海外ではすでにADSLの普及が始まっていましたが、国内ではNTTがISDNに力を入れていてADSLには消極的で普及が遅れ、2000年に入って「東京めたりっく通信」が東京23区内でADSLサービスを始めました。

ちょうどタイミングよく23区内で1人暮らしを始めることになったので、速攻で申し込みました。
確か下り640kbpsで月5400円とかだったと思います。今にしてみれば全然遅いですが、「常時接続」は当時のネットユーザーにとって憧れでした。


2.7.無線通信


今でこそスマートフォンで普通にインターネットへ常時接続できますが、無線での常時接続は2001年の「AIR-EDGE(旧AirH")」まで待つことになります。

当時は携帯電話で9600bpsPHSのPIAFSという規格で32kbpsという速度でした。もちろん通話料がかかります。

当時まだ携帯電話を持っていなかったのですが、PIAFS開始と共にケンウッドの対応端末XIT(ザイト)ISD-P27と東芝のデータカードを購入し、早速試したのを覚えています。
その後写真のパルディオ611Sも入手しました。これはフリップ部分がコンパクトフラッシュとなっており、カバーを外すとそのままパソコンやザウルスに挿して通信ができると言うものです。


携帯電話は9600bpsとPHSより速度は遅いですが、ドコモの10円メール(最初の課金時間内で1000文字分のテキストを送るサービス)と言うのがありました。
写真は「ポケットボード」という10円メール用の端末で、乾電池で動き、メールをオフラインで打っておいてケーブルを繋いで送信するというものです。
シリーズ化されて結構な種類が出ました。

その後iモードといった通信サービスが始まりますがパケット代は定額では無く、通話料のパック料金をパケット代に当てられるくらいでした。

そして2001年6月に、当時のDDIポケットが無線の定額制常時接続サービスである「AIR-ADGE」を開始します。
開始当初は32kbpsで月額5800円。すでにADSLが普及していたため速度はだいぶ遅かったですが、無線で常時接続というのは夢のようなサービスでした。

先日ドコモが下り375Mbpsのサービスを発表しました。10000倍です(;´∀`)



3.ソフトウェアのお話し

3.1. ウェブブラウザ


ブラウザと言えば無料なのが当たり前ですが、当時はそうではありませんでした。

まずWindows95(初期バージョン)にブラウザは付いていませんでした。別売りの追加パック「Microsoft Plus! for Windows95」にInternet Explorer1が含まれていました。

しかし使い勝手はあまりよくなく(今も・・・?w)、今は無き「Netscape Navigator」がほぼ標準でした。自分はバージョン3のパッケージを5000円くらいで買った記憶があります。

Netscapeの背景色はデフォルトがグレーで、HTMLで何も指定しなければグレーになるので、大抵のページはグレーだった気がします。

ちなみにMicrosoft Plus!にはあの「3Dピンボール」も含まれていました。


3.2. ICQ


ICQは今で言うLINEみたいなメッセンジャーソフトです。
無料で使えてファイル転送もできたので、みんなで使っていました。
着信時の「アッオー」という音は懐かしいです。


3.3.ポストペット


ポストペットはSo-netが提供していたメールクライアントです。

ペットの育成要素があり、メールを送るとペットも一緒に送信されます。
送られた側はメールを受信するとペットも尋ねてきて、しばらく遊んだ後に帰ります。
するとペットから「ひみつ日記」というメールが届き、「たくさんなでられた」などといったメッセージが読めます。

けっこうはやって、WindowsCE版や「PocketPostPet」という専用機も出ました。

残念ながらサービスは終わってしまいましたが、公式サイトは今もあってLINEスタンプとか出てるようです。


3.4.WindowsNT

一般向けのWindows95とその後継(98、Me)とは別に、最初から32ビットOSとして作られたのがWindowsNTです。
4.0から見た目が95と同じになりましたが安定性は別格で、メモリを多めに積んでおけばほとんど落ちることも無く快適に使えました。

NT5.0はWindows2000となり、その後XP、Vista、8、8.1、10と続いています。
どれもWindows9x系統とは別物です。

NT4.0はIntel以外のCPUアーキテクチャ版もリリースされて、Alpha、MIPS、PowerPC用がありました。PowerPCは当時Macで使われていたCPUです。
今は逆にMacがIntelのCPUで動いています。面白いものですね。


3.5.インターネットマガジン

ソフトウェアじゃないのですが、当時よく読んでいた雑誌です。
とても分厚くて、読み応えがありました。

毎号日本のプロバイダー相互接続マップが付いていて、自分のブロバイダがどのように上位プロバイダーと接続されているかが分かって面白かったです。
時が経つ毎にプロバイダがどんどん増えて複雑になり、わけ分からないことになっていた気がしますw

現在は一部が無料で公開されているので、お時間があったら見てみると面白いかもしれません。




おしまいのひとこと


昔を思い出しながら、帰りの電車の中でポータブックで下書きをしていました。
WiMAXでOneDriveに保存して、家のデスクトップで続きを書きました。
あれから20年、パソコンと通信環境は劇的に進化を遂げました。

それがいいことばかりでは無いことは、時折Twitterなどに流れてくる炎上やネットに絡んだ事件を見るとわかります。
このすばらしい環境は昔を知るものからするとまさに夢のようですが、それが当たり前のように存在している若い皆様におかれましては、ぜひとも正しい方向に活用して欲しいと思います。

それではみなさまよきガジェットライフを(´∀`)ノ



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自己紹介

猫とガジェットが好きなJava屋さんです。うつ病で休職後退職し、1年半の休養後に社会復帰。・・・が、いろいろあって再び退職。さらに1年休職の後に復帰して、なんとかSE続けてます。茶トラのすずと一緒に生活していましたが、2014年9月4日に亡くなって1人に。

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